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レジャー・体験伊奈波神社岐阜長良川鵜飼

長良川鵜飼、伊奈波神社のこと

2020.12.27

 前回の続き、岐阜の私が住んでいるあたりのお話です。

長良川と鵜飼

 岐阜市を東西に流れるのが長良川です。長良川といえば長良川鵜飼。鵜飼は長良川の上流の関市・小瀬鵜飼の他、大分の三隈川、愛媛の肱川(この3つが三大鵜飼)、京都の宇治川、広島の三次鵜飼など全国にあります。ですが、長良川鵜飼と小瀬鵜飼だけが宮内庁式部職である鵜匠によるもので、年8回、宮内庁御料場で行われる御料鵜飼で獲れた鮎は皇居へ献上されるほか、伊勢神宮、明治神宮にも奉納されています。

 その歴史は古く、正倉院に収められている大宝2年(702年)の戸籍に、美濃国(岐阜の古名)に鵜飼を生業とした集団があったと推測される記述があります。これが長良川鵜飼が1300年の歴史があると言われる由縁です。

 鵜飼を観覧し、鵜使いに“鵜匠“の名を与えたのは、織田信長であったと言われています。また長男信忠の元へ武田信玄の娘が輿入れする際、その婚約の使者を使者を鵜飼の観覧でもてなしたとされています。江戸時代には、徳川家康・秀忠が観覧して以来、徳川将軍家への鮎の献上が始まる一方、長良川の往来の自由などの特権と、扶持が与えられ保護されました。当時の鵜飼の様子は、松尾芭蕉の「おもしろうて やがて悲しき 鵜舟かな」の歌や、歌川広重と渓斎英泉による浮世絵の連作・木曽海道六十九次の55宿「岐阻路ノ驛 河渡 長柄川鵜飼舩」などから偲ぶことができます。明治時代になると岐阜県が宮内省に働きかけて、その地位を認められています。

 私は子供の頃、屋形船で見たことがあるそうです。記憶にないのが残念です。記憶にあるのは、祖母に連れられて船に乗りに行ったところ、夕立に見舞われてビニール袋(多分ゴミ袋)に穴を空けた即席のカッパを着せられ、逃げ込んだ待合所でざんざん降る雨と地響きのような雷鳴、稲光が怖くて怖くて、、という場面だけです。

伊奈波神社

 長良川鵜飼よりさらに古い歴史があるのが、鎮斎1900年余りの伊奈波神社です。元は金華山の麓にありました。岐阜公園の隣にある、いわゆる中国庭園の御手洗の池のところに碑が立っているのを先日、偶然見付けました。かつて金華山が稲葉山と呼ばれたのは、主祭神の五十瓊敷入彦命が因幡国の出身であったことからきたようです。五十瓊敷入彦命は、第11代垂仁天皇の長男で第12代景行天皇の兄です。治水に功のあられた方で、水害の多かった岐阜の地で、これを防ぐ神様としてお祀りしました。社伝によると、五十瓊敷入彦命は奥州を平定した後、その功績を妬まれて騙し討ちに遭い、この地で命を落としたそうです。伊奈波神社には主祭神の妃や母ら4柱も配祭神としてお祀りされ、この5柱をもって伊奈波大神と総称します。祖母が神棚にお参りするとき、この5柱の御名を唱えていましたので、すっかり耳に馴染みました。伊奈波神社が現在の場所に遷座したのは、斎藤道三によるものです。道三は稲葉山城を築城するにあたって、元あった物部神社と合祀して稲葉山の鎮守としたそうです。

 話が逸れますが、稲葉山城を岐阜城としたのは信長ですが、稲葉山城を金華山としたのは信長ではありません。由来についてはいくつか説があるようですが、私が知っているのは在原行平がはるばる東北から金花石という珍しい石を運ばせてきたが、この地でその石を放置して旅を続けたので(なぜだ?)、人々がこの石を神様としてお祀りしたのが由縁という説。もうひとつは、岐阜のどこぞ放蕩息子が奥州三霊場の宮城県の金華山で改心して帰郷したところ、父親がこれを信じず、証に持ち帰った金華山の石を投げ捨てたものが山となった、という話です。後者はまあお伽話でしょうから、在原行平の話の方が信憑性があるように思います。思うだけです。

 マルテロドーロは、この伊奈波神社の現参道脇にあります。実は、旧参道は伊奈波神社の南西の隅から西へ伸びる細い道で、伊奈波神社からこの道を辿ると当アトリエの敷地に突き当たるという場所です。私も父も、お宮参り、七五三はもちろん伊奈波神社。先日うちの子も七五三詣をして、親子三代での参詣となりました。もっとも、私の7代前までは参道脇で鰻屋を営んでいましたので、少なくとも私の子まで9代は伊奈波神社にお参りしてきたのではないかと思います。

 年末は、クリスマスが終わった頃から〆縄を売る屋台が出て、30日には屋台が準備を始めます。大晦日は夜9時頃には人が出始め、除夜の鐘と朝まで途切れない人の声とを聞きながら眠ります。大きな神社の近くに住む人の、年末の風景なのかもしれません。初詣の人出は三ヶ日で70万人とか。さすが、岐阜の総鎮守というところです。

 私はお参りに行くと、まず手水をつかったあと、一番上の本殿にお参りします。そこから降りてきながら摂社を順にお参りします。黒龍さん、東照宮さん他たくさんの神社をお祭りしている社、大黒さん、お稲荷さんと回るのが子供の頃からのお決まりです。子供の頃には、ほとんどの方が真っすぐ本殿に参って真っすぐ降りて行かれたのですが、伊奈波神社がパワースポットアピールを始めた頃から(笑)、摂社にもお参りする方が増えてきて、最近では初詣ですと摂社でも順番待ちをするほどです。

 伊奈波神社の大鳥居脇には善光寺があります。こちらの善光寺は、現山梨県にある善光寺の御本尊を織田信長が岐阜へ迎えたことを霊跡として、信長の子孫が建立したものです。御本尊の如来像は豊臣秀吉の手で信濃へ返されていたので、その分身を祀っています。伊奈波神社へ初詣を終えた後は善光寺さんにお参りして、体中にありがたい煙を撫でつけて、なんでここでは手を叩かない(柏手を打たない)のかと思いながら下りて行ったものです。

 参道を下ると、右手に安楽寺があります。美濃新四国八十八箇所の2番札所だそうで、この看板を見るまで新四国八十八箇所巡りなるものがあることを知りませんでした。こちらには聖徳太子と彫られた石柱が立ち、正面に聖徳太子像が安置された御堂があります。以前は生まれ年の干支の護り本尊、大日如来や不動明王、虚空菩薩など仏様の像が並んでいて、私は勢至菩薩に向かって手を合わせておりましたが、像として痛んできたものか、現在では像は別の場所に移され、仏様のお名前の書かれた板だけが掲げてあります。とても残念です。御堂に向かって左手には子育て地蔵堂とお稲荷さんが並んでいます。こちらの地蔵堂は、私が母のお腹にいる時に安産をお願いしていたそうで、伊奈波さんへお参りする最後に必ず手を合わせに寄るお地蔵様です。

さて、次回はマルテロドーロについてです。