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地金歴史

金について <2> 歴史上の金 −金を求める人々−

2023.4.15

 金についての2回目は、宝飾品としての側面を、、と思ったのですが、あまりに範囲が広すぎるので、その初めについてだけにしておくことにしました。

金の発見

 人類が金を発見したのは紀元前7000年、エジプトの石器時代にはすでに用いられていました。

 自然に産出する金は山金と砂金があります。山金は銀を含みますが、川床や海岸で発見される砂金は、水中を漂う中で銀が水に溶けるので純度が高くなります。いわば使える状態で手に入るため、広く使われるようになったと考えられています。

 古代エジプト文明では、金は太陽神ラーの体の一部とされていたため、信仰と結びついて祭祀や儀式の場で使われる道具に欠かせない素材となっていました。金細工師は技術を高め、社会的にも確かな地位を築いていました。

発掘された宝飾品

 世界最古の金製品は紀元前6000年のもの。1972年にブルガリアで発見された“ヴァルナ銅石器時代墓地43号墓出土の金の副葬品“です。黒海沿岸のヴァルナという町で約300基の墓が発見され、その副葬品が大量の金製品でした。この装飾品はを作った古代人が誰なのかは分かっていないそうです。

 次に古いものとしては、シュメール人の都市ウルで発見された紀元前3000年頃の遺跡

から出土した金製品で、この遺跡からは最古の銀製品も出土しています。ヴァルナの遺跡が発見されるまではこちらが世界最古と言われていたようです。

 この後、メソポタミアの遺跡で紀元前2000年から紀元前1000年ほどの間につくられた金製品は、そのほとんどが失われてしまっているので、はっきりしたことが分かっていません。

 その次に挙げられるのは、1982年に発見された紀元前3世紀の遺跡”スヴェシュタリのトラキア人の墳墓”から発掘された金の装飾品です。この遺跡は世界文化遺産に登録されています。2012年には、同じスヴェシュタリ村で紀元前4世紀末~3世紀初頭の古代トラキア墳墓から多数の黄金細工が発掘されており、古代の黒海沿岸では他の文明に数千年先駆けて金の加工技術が発達し、儀式に使われていました。

聖書の中にも

 紀元前2世紀頃までに成立した(諸説ありすぎ)旧約聖書には、金の産地としてオフルという地名が何度も出てきます。現在のジブチ共和国(紅海南端の南側)にあったと考えられているそうです。新約聖書にも、冒頭の創世記にエデンから流れる4つの川のうち、ハビラ全土を巡るピションに金があったという記述があります。その場所は、一説にハビラはナイル上流でジブチ共和国の西側とされているので、おおよそ同じ地域です。

そして錬金術

 金はその価値を認められ、追い求められるようになります。そして、卑金属(ここでは金銀以外の金属)から金を作り出そうという錬金術が紀元前1世紀のエジプトで始まります。ヘレニズム文化に乗ってアラビアへ伝わり、インドや中国の錬金術とも交差して発展し、十字軍の遠征によってヨーロッパへ伝わります。

 活版印刷術によって書籍が大量に作られるようになると錬金術師が増え、16世紀ルネサンスに最盛期を迎えました。その後、17世紀末になってようやく錬金術と化学の差別化が図られ、19世紀初頭にドルトンが原子論5原則を発表するまで、実に長い間続けられました。

 ご存知のように、もちろん錬金術はその目的を達することはできませんでした。化学の発展させるとともに、人々が金を求める欲望も証明しました。

 錬金術史は面白すぎるので、また改めて書きたいと思います。

金を求めて

 世界には、たくさんの金にまつわる伝説があります。古くはインカ帝国のインカリ神話にある、伝説の黄金の都パイティティ。大航海時代、南アメリカのどこかに存在すると噂された黄金郷エルドラドの伝説。ティーチやキッドら海賊の財宝、ナチスの黄金列車など、どんどん出てきます。日本でも、徳川埋蔵金の他いくつも埋蔵金伝説があります。

 金は、文明とともにあったと言っても過言ではないようです。