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地金歴史

金について <3> 歴史上の金 −最初の金貨−

2023.6.16

貨幣としての金

エレクトロン貨

 最古の鋳造貨幣、エレクトロン貨にも金が含まれていました。紀元前670年頃に、現在の西トルコにあったリディア王国メルムナス朝の王ギュゲスが発行した貨幣で、金73%と銀28%の合金でした。直径1cm強の円形で、表面には王の象徴であるライオンの顔が描かれていました。

 時代が下ってくると、交易や戦争によって人と文物の行き来が盛んになります。すると、国や民族を越えて共通の価値を持つものが求められるようになります。これがすなわち、通貨としての金、銀、銅でした。ヨーロッパから中東を通ってインドに至る地域で、貨幣経済をベースとした交易が盛んになったのは、アレクサンドロスの東方遠征がきっかけでした。これがいわゆるシルクロードに引き継がれます。普遍的な価値を持つ高額貨幣の金、産出量が多い小額貨幣の銀、さらに産出量が多く耐久性もある一般貨幣の銅という位置付けは、この頃からのものです。

郢再/郢爰

 中国の最古の金貨は、戦国時代(紀元前403年~紀元前221年)に、揚子江の中流域で栄えた楚(そ)という国でつくられた「郢再:えいしょう」または「郢爰:えいえん」と呼ばれる金貨です。この金貨は、薄い板状にした金に印をたくさん押し、それを小さな四角形にカットして使われました。また前漢時代には、馬蹄金と呼ばれる金貨が作られ、臣下への褒賞として与えられたことが書物に残されています。(日本銀行金融研究所「中国貨幣の歴史」/NHK大阪放送局「中国の金銀ガラス展」)

 インドの金貨は、マウリヤ朝(紀元前317年~前180年)で鋳造されていたものが最も古いようです。紀元1世紀に西北インドにクシャーナ朝が起きると共に、急に金貨の流通が盛んになりました。当時のローマではカエサルが金本位制を始めたことと、インドでは比較的銀が出なかったこと、デカン高原で金が採れたことなどから、クシャーナ朝のウィマ・カドフィセス王が銀貨主体の制度を止め、インドでは初めて金貨の制度を実質的に確立しました。(中村元「インド経済史の特性の一考察」)

 アメリカ大陸の金についても、はるか昔から金が加工されていたようです。

“ペルー南部高地のワイワカで、紀元前1800年ごろの遺跡の発掘が行なわれ、金属を打ち延ばすための石のハンマーと、 床が発見され、それらに金箔が付着しているのが認められた”(増田義郎「黄金の世界史」)

 1521年にスペインのコルテスに征服されたアステカ帝国にも、1532年にスペインのピサロに侵略されて滅亡したインカ帝国にも、優れた金属加工技術がありました。南アメリカでは金や銀などが豊富に採れていたため、インカ帝国に至るアンデス文明、アステカ帝国に至るメソアメリカ文明ともに、金を加工した祭具や装飾品が多数発見されています。しかし、貨幣制度は存在していませんでした。

 古代メキシコ文明からスペイン人によって奪われた金は、海を越えて運ばれ、ヨーロッパ各地の教会や宮殿を飾りました。ローマのサンタマリア・マジョーレ聖堂の天井装飾には、この金がスペインとの繋がりを示す雄牛の紋章とともに使われています。

 次回は、日本の金についてです。