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地金歴史

金について <4> 日本の金 −貨幣−

2023.7.21

最初の金

黄金山神社

 日本で初めて金が産出したのは、天平21年に陸奥国小田郡(749年に現在の宮城県遠田郡涌谷町)であったと「続日本記」に記されています。国守の百済王敬福が朝廷に黄金を献上しました。続日本記・天平21年2月21日条には「陸奥国始貢黄金。於是。奉幣以告畿内七道諸社」(みちのくの国よりはじめて黄金が献上された そこで幣を奉って各地の神社に報告した)とあります。

 ちょうどこの頃、奈良東大寺の大仏が造立中でした。大仏を覆う金鍍金の金が不足していたため、算出の報告を聞いた聖武天皇は喜び、元号を天平から天平感宝に改めました。大仏の鍍金に使われた金は、約150kgに及んだとされています。

 聖武天皇は詔を下し、神仏だけでなく臣下にも感謝を示しましたが、その中で個別に大伴氏に言及があったため、喜んだ大伴家持は歌を詠みました。万葉集18巻(4094番歌)に収められ、題詞は「陸奥國に金(くがね)を出だす詔書を賀ぐ歌一首 并びに短歌」、左注には「天平感寶元年五月十二日、越中國守の舘で大伴宿禰家持が作る」とあります。この歌は万葉集で3番目に長く、「東國乃 美知能久乃 小田在山尓 金有等(東の国の陸奥の小田に山があり金が産出された)」とあります。

 この祝事に因んで、金を司どる二柱の神を祀ったのが金華山 黄金山神社です。日本で”金華山”は、この宮城県石巻市の島と、当アトリエからも見える岐阜県岐阜市の二座です。ちょっと感ずるところがあります。

最初の金銭

開基勝宝

 淳仁天皇治世下の天平宝字4年(760年)に藤原仲麻呂が、恵美押勝の名と共に鋳銭と出挙(利子付き貸借)の権利を与えられて金銀銅3種の貨幣の鋳造を命じました。金銭「開基勝宝」、銀銭「太平元宝」、銅銭「万年通宝」で、これが最初の金銭とされています。開基勝宝は、出土数もわずか32枚で質量のばらつきも大きいため、実際に商取引に使われていたのではなく、富と権力の象徴として貴族間の贈答用に用いられていたと考えられています。

 律令国家は7世紀後半に富本銭、708年に和同開珎など13種類の銅銭を発行したが、958年発行の乾元大宝を最後に、金銭はおろか新たな銭貨は発行されませんでした。これ以後は価値が安定した米や絹・布(麻布)が銭貨の代わりに貨幣として使われるようになります。

 次に銭貨が使われるようになるのは12世紀半ば以降、中国から銭貨が大量に流入したのがきっかけでした。これが浸透して商品経済が発達しましたが、16世紀になるまで国家が貨幣を発行することはなく、人々はこの渡来銭を使用しました。

戦国時代から江戸時代

慶長小判

 16世紀は戦国時代です。戦国大名による鉱山開発が進められ、石州銀や甲州金などの領国貨幣と呼ばれる金銀貨がつくられます。

「織田信長は撰銭令を出し、金・銀・銭貨の比価を定めて高額品の売買は金銀の使用を基本とした。豊臣秀吉は諸国の鉱山を掌握し、天正大判など基準となる金銀貨を製造した。徳川家康は金銀山の支配を進め、貨幣製造の技術・体制を整備し、1601年慶長金銀を発行した。その後、江戸幕府は、寛永通宝を発行し、金貨・銀貨・銭貨による三貨制度が整った。三貨制度は、統一政権が国内の基準貨幣を制定し、日本独自の貨幣体系が成立したという点でその意義は大きい。一方で、各大名領国内では藩札など三貨以外の貨幣も容認され、江戸時代は実際には、緩やかな貨幣統合であった。」(貨幣博物館 Websiteより転載)

 江戸時代には、幕府が貨幣流通量の増大や幕府財政の立て直しを図るため、度重なる改鋳を実施しました。改鋳とは、その時出回っている貨幣を回収し、額面は同じままで1枚の重さを軽くし、金銀の含有量を下げた貨幣を発行することです。極端な例えですが、20gで金含有量100%1両小判を回収して、10gで金含有量50%の1両小判に改鋳すれば、資産としては4両になるわけです。

 小判における金の含有率は、秀吉の慶長小判が18g/84%でした。それが1695年の元禄の改鋳で18g/57%、1706~11年の宝永の改鋳で9g/84%に下がります。しかし、これを悪鋳として将軍権威の回復のため新井白石の提言によって1714年の正徳の改鋳で18g/84%、1715年の享保の改鋳 で18g/87%と慶長小判の品質に戻しました。江戸時代を通して、品位が良い方へ改鋳されたのはこの2回だけで、その後4度の改鋳では品位はだんだん下がっていきます。1736年の元文の改鋳で13g/66%、1818年の文政の改鋳で13g/56%、1832年の天保の改鋳で11g/57%、1860年の万延の改鋳で3g/57%となります。万延小判は、慶長小判と比べて重さは1/6、金の含有量は約9割減りました。

明治以降

 明治になると、1871年の新貨条例によって「円」を全国統一の通貨単位とし、20円、10円、5円、2円、1円の金貨を発行しました。1897年(明治30年)の貨幣法に基づいて発行された新金貨は、その後1932年(昭和7年)まで発行されました。現在は、天皇陛下のご成婚や在位記念、オリンピック開催記念などのプルーフ金貨(記念硬貨)のみが発行されています。

次回、金についての最終回、装身具についてです。

貨幣博物館 Website

「お金の歴史」https://www.imes.boj.or.jp/cm/history/content/

「常設展時図録」https://www.imes.boj.or.jp/cm/collection/tenjizuroku/